【5/6】自分の浅はかさが嫌になります。彼との関係と、写真を撮られていることを主人に言いました。浮気して、自分を正当化するために、頑張っている普通の人を侮辱した馬鹿は私です。
仕事のない日に美和子を誘い、喫茶店などで話す時間を過ごすに連れ、私はどんどん美和子に惹かれていきました。ただ、大きな問題がありました。
597 :名無しさんといつまでも一緒 :2007/12/15(土) 01:46:37 0
支援
598 :美和子夫 ◆eVc8IFwJKM :2007/12/15(土) 01:55:35 0
美和子の実家は明治時代から続く家柄で、かなりの資産家なのです。
しばらく前に「華麗なる一族」のドラマがあったようですが、近い部分があるそうです。
(私はドラマを見ていませんし、実際はドラマほどではないようですが)
バブル崩壊後の資産運用に失敗し、その後の景気の悪化もあって現在では事業を大幅に縮小していますが、それでも我々庶民とは比較にならない家柄です。
しかも美和子は一人娘で、美和子の結婚相手は次期社長になる人間でなければいけないはずでした。
そんな経緯もあり、美和子には大きな取引先(大手グループ企業)との縁談が持ち上がっていました。
と言っても、美和子が卒業してから話を進めるというぐらいで、具体的な相手が決まっていた訳ではありません。
この話を進めたがっていたのは美和子の祖父(当時の社長)と母(どこかの元お嬢様)です。
義父は、それではいずれ自分たちの会社が乗っ取られてしまうと抵抗したそうです。
しかし義母は現在の会社の経営状態が昔より悪くなっているのが気に入らず、業務縮小を進めて経営の立て直しを進めようとした義父と折り合いが悪くなっていったようです。
また社長だった義祖父の影響力も強く、結局は義父も縁談を飲まざるを得なかったようです。
美和子の意志は関係ありませんでした。
599 :美和子夫 ◆eVc8IFwJKM :2007/12/15(土) 02:01:19 0
その話を聞いた私は、とにかく焦ってしまい、半ば強引に美和子を奪ってしまいました。
何日もかけて家の操り人形でいいのか、お前の人生なんだから自分で決めろと言い続け、洗脳に近い状態にして行ったのだと思います。
間男のしていたことと変わらないのかもしれません。
それが私にとっての負い目で、今までずっと尾を引いていました。
妻が周囲の意見に流されやすい事を知って、利用していた私が
そのことで妻を責めるのは矛盾していると感じていたからです。
幸い美和子も私に好意を持ってくれており、無理矢理という風ではありませんでしたが…
そうして美和子と関係を結び、美和子の実家に乗り込みました。
当然ながら激怒され、一度は引き離されました。
しかし美和子の父の理解もあり、婚約は破談(元々正式に決まっていなかったのですが)となりました。
しかし取引先の顔に泥を塗った形になり、美和子の祖父も激怒していたため、美和子は実家から表向き絶縁という形になりました。
その後、美和子の卒業を待って結婚しました。
ですが美和子との関係のために勤め先の店に迷惑をかけることになり、私は無職になってしまいました。
私は日雇いで働き、美和子もパートに出ていて、苦しい新婚生活を強いてしまいました。
やがて妻が妊娠し、パートに出ることも出来なくなりました。
そんな時、私を助けてくれたのが義父だったのです。
600 :美和子夫 ◆eVc8IFwJKM :2007/12/15(土) 02:10:28 0
義祖父が会長となって隠居した後も義母はまだ私達を許せないようで、美和子も両親を嫌っています。
ですが私は義父を尊敬しており、月に一度は現状の報告をしたり酒を酌み交わしていました。
本当は娘にも会わせたいのですが、なかなか妻が納得してくれず、写真を渡したり話をするのが精一杯です。
義父も、寂しいが娘に無理強いをした我々が悪いのだから、とそんな状況に納得してくれていました。
元はと言えば私が美和子をそんな風に変えてしまったと思うと、申し訳なさもありました。
そうして義父から今の仕事(中堅の開発)を紹介してもらうことになります。
それが今まで私が勤務していた会社です。
義父も厳しい人ですので、面接のセッティングまでしか手を貸さないとのこと。
コネだから必ず入れるわけではなかったようです。
それは当然のことですし、それでもコネがあってのことだと思うと、ちょっとした敗北感もありました。
しかしもうじき娘が生まれるという時期でしたから、迷ってはいられませんでした。
601 :名無しさんといつまでも一緒 :2007/12/15(土) 02:12:27 P
しえん
602 :名無しさんといつまでも一緒 :2007/12/15(土) 02:13:00 0
紫煙
603 :美和子夫 ◆eVc8IFwJKM :2007/12/15(土) 02:29:00 0
義父の紹介とはいえ、高卒で知識もない私に出来ることはたかが知れていました。
チヤホヤされるはずもなく、またコネで入っただけと言われたくなかったので、とにかく勉強しながら仕事をこなして行きました。
最初は下請けに回されて昼夜なくコキ使われていましたが、IT系企業が伸びていた時期です。
すぐに人手が足りなくなり、私も出向元に戻ることになりました。
最初は営業をやっていましたが、数年前から主任として何とかやっています。
そして二年弱ほど前でしょうか。私に引き抜きの話が来ました。
同僚の先輩が先だって会社を辞職、知人らとITコンサルの仕事を立ち上げることになったのです。
ベンチャーではなく企業の一部門が独立したもので、うちの社の何名かを引き抜いて行きました。
その頃、私にも声がかけられていました。条件はあちらの方が格段に上でしたが、能力主義・成果主義の営業メインであることに不安がありました。
もしものことがあれば、妻と娘の生活がどうなってしまうのかということもあります。
まだ独立したばかりの会社ですし、今後の経営状態も分からない。(今の所はそれなりにやっているようです)
会社からも、これ以上人が減っては困るからと言われていました。
元々義父の伝手で入社していた(妻はこのことを知りません)という恩義も感じていました。
結局妻や義父に相談せず、この話は断ってしまいました。
今から思えば、この時に思い切っていたら…或いはすぐに義父に相談していたら、こんな風にはならなかったのでしょうね。
私は同僚と会社を信用していました。無条件に信用しすぎていた、と言った方が良かったかもしれません。
私も妻のことを笑えない世間知らずだったのでしょう。
これが今年の春までの状況です。
ここからが韓国人の男(P)の出番となります。
604 :美和子夫 ◆eVc8IFwJKM :2007/12/15(土) 02:36:55 0
Pが入社してきたのは4月のことです。
入社した時にも色々と揉めました。
入社日に会社来なかったんです。電話をかけても連絡が取れず…。
数日後に「連絡が来ないがどうなっているのか」とPから電話が…。
この時点で、我々はかなりゲンナリしていました。
Pはアメリカの某大学を出ている自称エリートで、半年前から取引先に勤めていたそうです。
開発の現場を勉強し、今後に生かしたいとの意向から我が社で受け入れることになった…という話でした。
期間は一年間で、それを越えたら取引先に戻る予定となっていました。
実際のPの能力を考えると、恐らく体のいい厄介払いだったのでしょう。
後に判明することですが、出向元でも疎まれており、Pも後がないことを感じていたのかもしれません。
そのせいか、自分を大きく見せようとする傾向が強く、みんな苦労させられました。



