【4/5】浮気が発覚しても嫁は納期ガー残業ガーと話し合う気配なし。避け続けられてどうでもよくなっていた。そのうちW不倫には疲れて戻ってくるだろうと高を括っていた。
でも、そんなこといったって、すぐに仕事が上達するなんてないですよね。元上司のパワハラが頂点にたっします。そこで、拾ってくれたのが今の上司です。ちょうど流産した時期がこのあたりです。流産のケアではなく、拾ってくれた元上司の期待に応えようと仕事にのめりこんでいったのは事実です。元嫁の「赤ちゃんが死んじゃってから私がかわった」のは、自覚しています。さみしいから不倫しましたってありえないけど、さみしかったんだってことはそのとおりです。そのときに、お互いにもっと支えあっていればと、今では思います。51 :799 ◆TYGtrHd5y. :2011/03/26(土) 11:59:09.54もうひとつ、不倫が発覚した時に、なぜもっと追求しなかったのか、義母ではなく自分が突撃しなかったのか、は、お詫び行脚出張があったからです。ある支店で経理担当者と支店長がぐるになって、支店全体でカラ出張、カラ残業、支店裁量経費の増額などが発覚しました。もともとは経理担当者が使い込みしていたのを隠ぺい工作です。不正は知らないまでも、そんなことしてていい仕事できるわけはないですね。成績が落ちますから、本社は営業のトップエリートを派遣し、立て直しをはかりました。異動後彼は、気づいたようですが見て見ぬふりになりましたし、何回かはおこぼれももらったようです。というか、どんなものでも営業経費として落ちていく、それで成績が少しずつ回復していくのが楽しかったようです。
本社の知るところになります。というか、気づいたのは私で、上司に相談し、内密で調査に入ることになりました。さいきんの当該支店勤務の経験者に個別に面談、事実を確認し、不当所得として返還させたりしました。「おとなしくしていれば軽い処分ですむから」と言って。で、月曜日朝一で急襲です。同時に、内密に進めていた異動を発令、支店の全員をとっかえました。新支店長披露と取引先へのお詫び行脚の開始です。一方、支店の職員の尋問が始まります。尋問したのは、他の管理職ですが、そのための下資料をつくったのは私です。社長の決断は厳格でした。全員を退職させろというものです。主犯の支店長と総務課長は解雇されて当然ですが、課長に言われ書類を偽造した担当職員も、エリート営業課長も解雇です。「泣いて馬謖を切る」ということわざを初めて知りました。処分そのものは、軽い人だと減給1か月とかそんなものです。処分は一方的にできますが、退職という処分はありません。本人が退職願に署名しなければなりません。個別に面談して、退職願に署名捺印を強要します。「会社を裏切ったものを、おいておくわけにはいかない」。住宅ローンが、とか、子どもの教育費が、と言ってきます。相当の反省文を書いてきた人もいます。かつて勤務していた人も同様です。「軽い処分ですむと言ったじゃないか」と食ってかかれたこともあります。元妻の不倫発覚後、離婚を決めるまでの仕事はそんなのばかりでした。公私ともに、その人の責任だとはいえ、その人生が狂ってしまうのを見るのが、耐えられませんでした。
52 :799 ◆TYGtrHd5y.
:2011/03/26(土)
12:03:41.81木曜日の罰1の会に戻します。自分が不倫して離婚されたけど再構築した人が家まで送ってくれました。子どもが小さかったから、奥様の選択は、家庭内離婚でした。罰「”あなたの下着なんて触りたくもない”というから洗濯当番を引き受けると、”あなたに私の服を触られたくもない”といって、洗濯は2回回すことにあった。奥と子どもが入った後は風呂の水は抜かれている。食事はさすがに作ってくれるは、自分の食器洗いは自分。もちろん、寝室は別。奥はときどき思い出して、汚い、サイテーと罵ってくる。”家庭内離婚だから心が荒れてきたんだよね”というと、”原因つくったあなたにそんな心配されたくない”」罰「その当時は再構築するつもりもなかったけど、”ここで逃げたらだめだ”と、奥の気もちから考えるんじゃなくて、あくまで加害者として罰を受けている自分に酔っていた」罰「あるとき、そうか家庭内離婚やめればいいんだと思った。反省文書いたり、いろいろした。でもなんか違うんだよね」罰「あるとき、これからの話なんだ。と気づいた。自分の人生見つめなおして、今後を考えた。不倫してしまったけどそれは許されないけれど、やはりこれからの人生は奥とこの子と過ごしたい。”やり直す”じゃなくて、まったく新たなスタートとして」罰「告白した。2回目のプロポーズだ。2ヶ月くらいたって帰宅すると、机に、2人の名前の書いた離婚届がおいてあった。役所にはだしたなかったようだ」奥「前の彼には不倫されて別れた。その彼はあなたと関係ない人。私も、これからの人生をあなたとこの子と送りたい。」聞いていて涙がでた。叱って、とか、責めて、というのも、結局は自分のためだったのか。54 :799 ◆TYGtrHd5y. :2011/03/26(土) 12:15:05.55でもですね。まだ甘ちゃんなのかもしれないけれど、元嫁となら、これからの人生面白いと思っています。まだ他の女の人知らないということもあるんですが。さっき書いたように、仕事に悩んだとき、包んでもくれたし、励ましてもくれた。俺のことよくわかってくれている人だ。一方、私もまだ未熟でした。結婚だって、数年間半同棲してたし、姉妹漫才して、人生面白可笑しく過ごせたらいいな、みたいなものでした。去年の夏に、再構築だって浮かれていたときもそうでした。正確には、ほんの2、3日前までですが。流産して、気持ちが一番不安定な時に、そばにいてやれませんでした。自分の悩みばっかり話してしていました。