【3/3】間との別れ話しに行った嫁が間とやってた!「別れ話は済んだんだよ、あんたんとこに帰るって言ったら間男は良かったねって。だから、お別れの前に最後にもう一回って…」おいw

事実上は他人になっているのだ、どうせ疎遠になっていく関係なら事を荒立てたてずに済めばそれでいい。

しかし通代の母親の言葉には遠慮も何もなかった・・
「確認だけするけどな、あの三つ子は賢治さんの子やろ?」

143
 賢治:04/05/30 11:45 ID:Jf26j21f
「あんた、通代と別れてからもしょっちゅうあの娘のところへ出入りしてたんちゃうの・・で、出来た子やないの?」
私が初めて通代の部屋に上がったのはもう子供が出来た後であったがそれはそれで
「なんや、じゃああんた自分の子でもない子を籍にいれたんやなぁ!じゃあそれは私があんたに、礼を言わにゃあいかんのやなぁ」
と言われる始末・・
「とにかくもう通代と暮らすつもりはありません」
「あんた今、その口でハッキリ言うたね!それでいいんやね、ほなそうするでぇ!」
立ち上がって私を指さす通代の母親に周囲の客も視線を向けるがお構いなしだ。この無意味で不愉快な時間が、早く終わってくれる事だけを願いながら私は益々白けた気分になるのだった。

144
 賢治:04/05/30 12:21 ID:Jf26j21f
三人の子供達に気は掛かるものの我が家は引っ越しに向けて慌ただしくもなっていた。
当初の動転や不安から比べれば、不思議なほど慣れてしまってはいるが、この街にはもう長く住むわけにはいかない。離婚後の通代の素行は知れ渡るところとなり、いつ我が家の子供達の耳に入るか解らないのだ。大抵の事は子供達にも真実を話す方針ではあるが、通代の場合には耳に入れたくない話が多い。

私は密かに故郷岩手に戻る決意を固め、それに掛かる費用の捻出に思案した・・岩手で仕事を始める資本も必要だ。先ず借家を引き払い、子供達は通代の実家に一時預ける事にした。
通代の家でも、子供達の環境を訴えて渋々ではあるが了承し翌年三月までの半年間、面倒をみてくれる事になった。平成15年七月、春に入学したばかりの次女は初めての転校になり彼女はこの後、年内に更に二度転校する事になる。

145
 賢治:04/05/31 09:29 ID:ev3pNvrj
仕事場に寝泊まりしだしてまだ間もない七月の半ば、通代の実家からの電話が鳴った・・・
「やっぱり面倒見きれんで、子供達連れて戻って」
というものだった。
約束の半年間、何事もなく預かってはくれまいと覚悟はしていたがそれにしても早すぎるし何よりもう、私には住まいもないのだ。十日ほど先の夏休みまでは、とりあえず置いて貰ったが夏休み初日からは家族九人が仕事場に住む事になった。炊飯器でご飯は炊けるがガスが使えず、調理はレンジのみ・・
洗濯はもちろん手でした後に河原まで干しに行った。朝早めに起こして仕事が始まると子供達は公園や河原で時間をつぶし昼食に戻りまた夕方まで外に出した。

子供を通代の実家に連れて行った時、私は玄関先で通代の母親に
「私らこの年でこれだけの子供の面倒見るの、どんだけ大変や思っとんの!必ず迎えに来ぃやぁ!」
と、「まったく・・」をはさんで三度も念を押された。

146
 賢治:04/05/31 10:31 ID:ev3pNvrj
二年余りを父子家庭として過ごし、例え半年の間を通代の実家に預けたにしろ、その後もまた父子家庭の生活は続くのだ。
事の発端が通代にある事も踏まえると、謙虚に引き受けて貰ってもいいところなのではなかろうか。夏休み後、子供達の通学の事もあり事態の解決は急を要した。あらたに住まいを確保するにしても時間が必要であり、気は重かったがもう一度通代の実家にと電話をとった。

「ああ賢治さんか、あのな三重の尾鷲にな・・ もう住まいも仕事場も用意したからな、そっちで暮らしてんか」
頭から怒鳴られる事を覚悟での連絡あったが、まるで私からの連絡を待ち受けたようにそう告げられた。

147
 賢治:04/06/01 13:41 ID:LBAt0dJM
通代の親は最初から、子供を半年間面倒を見てくれるつもりなどなかった・・
経済的に私が息詰まるタイミングで新天地の確保というカードを、それも子供を預ける相談をした段階から用意していたのだ。余力があれば子供を預けたりしない事など承知の上だ。通代の親は口には出さないまでも無論、援助の向こうには娘との復縁を含んでいる。この期に及んでも、私を追いつめようとするこの連中といつまでこうして関わりあわなければならないのか・・

私の中で押さえ続けて来た自制心のようなものが、ポロポロと崩れはじめ正面から思考する力が無くなって来るのが解った。
「岩手に帰ろう・・」
そう先ず動かざる結論として据える事で辛うじて、正気が保てたが精神的な限界は突然にやってきた。

148
 賢治:04/06/01 14:34 ID:LBAt0dJM
そんな中、幸いなアクシデントが起きた。
通代の母親の策略を拒否した事で、岩手に居た通代が我が家は静岡での生活続行を決意したと勝手に勘違いしたのだ。それでは岩手にいてもと通代は、三つ子を連れての引っ越し先に静岡と県境の愛知県の街を選んだ。これによって私の帰郷計画は加速、その計画は誰に話す事無く子供達にさえ知らせずに準備を急いだ。

性分なのか基本的に趣味は多いが浅く、の私だがひとつだけ変わらず熱を入れていたのがライタ-の収集である。
USA製のこのオイルライタ-は、粋なものありふざけたものあり、年代物は勿論実に多彩で飽きる事がない。どれだけ苦心して入手したかを思えば、何があっても手放す気にはならず封印までしたコレクションであるが、今回の資金捻出の為にはそれも叶わなかった。

149
 賢治:04/06/01 18:03 ID:LBAt0dJM
平成16年春、私達親子は岩手県に住んでいる。
人口四千人にも満たないこの村は私の産まれ育った村でもある。