【3/3】間男とやってた嫁の言い訳『別れ話は済んだんだよ。あんたんとこに帰るって言ったら間男は良かったねって... だから、お別れの前に最後にもう一回って...』一生やってろ!
通代の母親という人は、まったく軽い言葉しか持たない人である・・
さしての考えも思いなく発するのだが、説得力を持たせようとして重い言葉を選ぶが為に更に陳腐になる。
「親っていうのはな、子供の為なら死ねるんやでぇ」
「あんたの事をどれだけ、大切に思てると思ってるんや!」
意見が対立する度に、通代に発する言葉であるが聞く度にこの人は言葉で聞かせなければ解ってもらえない子育てをしてきたのだなと感じた。
122: 賢治:04/05/27
10:43 ID:UtvD+/LT
事ある度に大袈裟に通代の弁護をすることで、いかに娘を大事に思っている母親であるかを主張する人であった。通代は結婚当初から家事は手をつけない女であり、帰宅後に明日通代の親が急に来訪するなどとなれば私一人で寝ずとも住まいを片づけたものだが・・・翌日、玄関先で
「いらっしゃい、どうぞ・・ちょっと散らかってますけど」
と言ってしまい通代の母親に
「あんたねぇ、通代は二十歳の若さで結婚して頑張ってやってるんだよ!それを親の前で家が散らかってるなんて言われたら通代が可愛そうやないの!」
と怒鳴りつけられた事があった。
実家にいた時は何一つ出来ず社会人になってからも魚の骨もとってやり爪も切っってやり出勤の際には靴下まで用意してやっていた娘である。その娘が結婚した途端に家事一切をちゃんとこなしてると思えるおめでたい母親なのだ。
123: 賢治:04/05/27 11:21
ID:UtvD+/LT
「サラシはな、真っ新やから価値があるねん」
婚姻の確約をかわした後に、通代の母親に言われたことがある。
「この子をな、私ら大事に大事に育ててあんたに渡すねん・・処女であんたに渡すんやでぇ、あんたは幸せや」
あきれて言葉も出なかったが、あやふやに頷いた。この人の娘に対する評価も不可思議だがその時、側で通代が
「お母さん、何言うのん・・」
とまるで照れたかのように振る舞い、母親の後ろにまわって私に向かって手を合わせた姿に唖然とした。この母親は娘がまさか、そんなもの五年以上も前に喪失しその後どんな経験をして来たのかなどは思いもしない事なのだろう。
東北の片田舎で生まれ世を知らないだけに描いていた女性への夢を、通代の一方的に話す性歴にどれだけ私が打ち砕かれひしがれたか、その傷口を平気で掻き回された記憶である。
124: 賢治:04/05/27 13:11
ID:Cy0vNX2v
しかし通代の母親が単独で堕胎を主張する事にはさして不安は感じなかった。通代と母親との親子間では決定権は娘にあったからだ。
やがて通代は出産の為に陸奥は岩手県に越す。
今後の話し合いも一時期は友好的な雰囲気であったのだが・・
情緒が安定しない通代は再度復縁を迫り、断固として拒否する私に対しての当てつけとして、岩手での出産を決行したのだ。どうあれ、産まれて来る子等は私が引き取る事は決定であり、様々な事を考えた結果・・ 育てる場所として雑音の少ない私の生まれ故郷でもある岩手県を考えていたのである。
それを知った通代が先回りで岩手に居を構え出産場所としたのだ。もし故郷で暮らすのに不都合な問題でも起こされれば、私は折々に帰る事は出来ても戻り住むことは成り難くなってしまう。
通代らしいといえばらしい、卑劣な手段である。
125: 賢治:04/05/27 15:55
ID:Cy0vNX2v
とは言え、多胎児を身籠もった通代の身体は心配だ・・
私は経済的な援助こそしなかったものの、入院に必要な住所の取得、保証人の設定などは積極的に協力した・・ 気持ちの上ではもう私は三つ子達の父親でもあった。
三つ子以上の多胎児の場合、通常の分娩での出産は考えられず帝王切開というのが一般的である。
しかし中には、帝王切開に適当な時期まで持たずに早い段階での、それに踏み切らざるを得ない場合もある。充分な成長を果たせずに産まれた我が子のあまりにかよわい姿に、気を乱す母親を見てまた不安になる若い母親も多い。三つ子以上の多胎児になると、近年は誘発剤の使用による結果が代表的で、子供を授かる段階で苦労が多かった母親には尚更である。
我が家で八人の出産をした通代である、当然三つ子も自然な受胎であるがその成長も順調であった。
127: 賢治:04/05/28 09:27
ID:nMie2i4K
七月最初の週の月曜日に通代から連絡があった。
「来週の月曜日に手術が決定したから」
調度32週が経過しての帝王切開となり三つ子である事を思えばよく無事にここまでこれたという所だろう。
私には子供が産まれる前にやらねばならない事があった。
戸籍上の手続きの確認である・・
離婚後200日以内に出産された子供は遺伝子はどうあれ戸籍上は元夫婦の子供であるらしい。しかし逆に婚姻関係にない男女間に産まれた子供の場合、私の籍に実子として続柄を継続させる事は出来ない。
本来通代一人が親となれば父親の蘭はバツ印になり私生児となってしまうが私が実子として認知すればそこに私の名前は記載される。
しかしそれは当然姓の違う父母であり、我が家の籍に向い入れる場合には養子になってしまう。
128: 賢治:04/05/28 10:11
ID:nMie2i4K
私がこだわったのは、実子として我が家の籍に入れる事でありその続柄を我が家の子供達につなげる事であった。私との血縁関係こそないが同じ母親から産まれた兄妹たちをそうする事で、より強くその意識を持ってもらいたかったのだ。
しかしその為には、どうしても夫婦間で子供が産まれるという状況が必要であり・・全く不本意ながら私はその決意をした。
子供の出生届を提出する前に、通代を我が森上籍に戻す事にしたのである。翌週月曜日・・
昼近くになり、帝王切開による出産が無事に終えたとの連絡があった。
三人とも日数なりに成長しており元気だという・・。
この一報を聞いた時、私はある妙な経験をしたのだ。なぜか漠然と男の子であろうという心構えであったが、産まれてみたら三人とも女の子であった。女の子だと聞いた、本当にその瞬間に頭の中に名前が・・・
それも三人分の名前が一度に浮かんだのである。
129: 賢治:04/05/28 10:34
ID:nMie2i4K
これまで我が家の四男四女の名前にはすべて、娘には通代の「代」を、息子には賢治の「治」を一文字入れて漢字二文字で統一していたが・・
一報を受けた時に浮かんだ名前もそれにならっていた。何よりも瞬時に浮かんだとは思えない、そのセンスに内心自画自賛し感謝の気持ちさえあった。子供が産まれ名前が決定した時にはいつもの事だが
「この子は我が家に生まれ・・この名前で生きて行く運命にあった子なのだな」
と、しみじみ思うのだ。
名前は 五女・・空代(ひろよ)六女・・海代(ひろよ)七女・・陸代(ひろよ)とした。
折角滅多にない三つ子で生まれたのだから、一生三つ子である事を満喫して貰おうと思い、字を変え同じ名前にした。自衛隊の如くであるが、それもまた弱々しくなくていい。
130: 賢治:04/05/28 10:56
ID:nMie2i4K
同じ名前の三つ子は将来、就学時に先生等にとっては不都合かもしれないが家では普段、「そら」「うみ」「りく」で呼べばいい。
そのあたりに対しての、本人の理解は成長とともに自然に出来る範囲の事であろう。名前も決定した後はお役所での処理をして頂くだけである。
家族内での、同じ音の名前に関しては我が家は前例がある。
アトランタオリンピックの年に生まれた次女は母親と同じ「みちよ」なのだ。柔道の田村選手が決勝で敗れた試合を見た私が、その無念を忘れたくないと柔道にちなんだ名前を考え「道代」としたのだ。



