【3/3】間男とやってた嫁の言い訳『別れ話は済んだんだよ。あんたんとこに帰るって言ったら間男は良かったねって... だから、お別れの前に最後にもう一回って...』一生やってろ!
結果としては我が家の「みちよ」はまた一人だけになったのだが・・・。
131: 賢治:04/05/28 11:17
ID:nMie2i4K
火曜日の午前に早速、市役所の戸籍係の窓口に向かい予め、道代とその親の了承を得て作成した婚姻届を提出した。
出産には最後まで同意しなかった道代の母親も入籍の件に
「私生児にはしたぁないで」
とこの時は感謝めいた言葉もあったが後にこの人はこれにも悪態をつけて来る事になる。
「これで道代とは夫婦になりましたね」
と職員に確認した後、更に三人の子供の出生届を提出した。
そして一つ々々の欄の確認作業を終え無事に受理を確認してから次のように職員に申し出た。
「それじゃあ、帰りますので離婚届を一枚下さい」
132: 賢治:04/05/28 13:32
ID:vOfTEyzK
三人の「ひろよ」は晴れて我が家の五女、六女、七女となった。その為にわずか24時間余りとはいえ道代を再度の入籍はどこまでも本意ではないがそこは書類の手続き上仕方がない事だと割り切るしかなかった。
更に三週間が過ぎ小学生組が夏休みに入ると早速三つ子に会いに
岩手に向かわせた。無論未熟で生を受けた三人はまだ退院してはいなかったが、道代は住まいから病院に通っていたので宿もある。
曲がりなりにも母親がいるわけだし、食事も与えてくれるだろう。三つ子の妹が産まれた、と聞いた時から楽しみにしていた我が家の子供達からは直ぐに感激の声が届いた。私は、駆け付けたい気持ちを押さえ仕事に向かうしかなく、夏期休暇の日を待った。
133: 賢治:04/05/28 13:56
ID:vOfTEyzK
盛岡の駅に到着すると、直ぐタクシ-に乗り込み目的地を告げた。
道代と子供達はこの日、私が盛岡に到着していた事を知らない・・
「道代には明日子供達を迎えに行くと言ってある・・今日は久し振りの盛岡でゆっくりしよう」
との思いもあったが何よりも「ひろよ達」との対面と、その後の余韻を誰にも邪魔されたくはなかった・・
じっくりと、これから育てて行く上での決意と実感を味わいたかったのだ。
病院に着き父親であると名乗ると看護婦さんが丁重に
面会室に案内してくれた、いよいよ一ヶ月も待った対面の時である。
134: 賢治:04/05/28 14:23 ID:vOfTEyzK
産まれた境遇がそうさせるのか、たまたまそうであるのか・・
はたまた私の遺伝子には含まれず、そうでないものにはあるものか・・
とにかく、手に抱いた三人の「ひろよ」はどの子も力強い生命力に溢れていた。今までの八人には感じた事のないものを感じた。
時間を忘れ、しばし見入った後病院を出た・・
次に向かう先も決まっていた、道代が岩手に入った際に色々と便宜をはかって頂いた学生時代の先輩に挨拶に伺い、その後今夜の宿に向かうのだ。
学生時代から何度も利用したその宿は駅前ビルの中にあった。
宿、といってもホテルなどではなく仮眠室のあるサウナだ。
当時から殊ある事にここで宿をとり、限界まで汗を搾りどれだけの思いを振り切ったものか・・・
だが今夜は違う、懐かしいこの地のこの建物の中で明日からの生活を組み立てるのだ。
135: 賢治:04/05/28 14:43
ID:vOfTEyzK
朝はゆっくり起き出し、また一汗を流してから外に出た。
このビルの地下一階地上一階には、パチ..店がありそこに立ち寄る事も盛岡に来た際の習慣になっていた。その時間はほんの少しでも良かった・・学生時代と同じ行動経路をとる事で、まるで自分自身がリセットされたような気持ちになるのだった。
昼に近くなり、道代に子供達を駅まで連れて来てくれるように連絡をした。
「えー、今晩うちに泊まって行くんじゃないのぉ」
と、道代は不満気であったが当然その気はなかった。早く子供達と新幹線に乗り込み、三つ子達との対面を再度感激し合いたかった・・
東北新幹線、東海道新幹線、東海道本線と乗り継ぎ
思い深き旅からまたこの街に帰って来た。
136: 賢治:04/05/28 15:08
ID:vOfTEyzK
九月になり、岩手の風はだいぶ冷たくなった頃・・
三人の子供達は無事に退院を果たした。
三人の乳飲み子を引き取るにあたり、静岡に戻って直ぐにあらたな住まいを確保し、思い付く準備を一つ々々しながらその日を待ち受けた。
それぞれ四人の兄も姉も、その気持ちは同じであった。
何日でも早い事を道代も望んでいるだろうと事を急いだ。
何しろ、一人の赤ん坊でも世話が出来なかった道代のところに今、三人もが居るのだ。
やっと環境のうえでも気持ちの上でも準備が整い、道代に
「いつ頃に、静岡に連れて来れそうなんだ?」
と連絡を入れると道代は
「ねぇ、やっぱり私も一緒じゃいかん?」
冗談とはとれないその真剣な問い掛けに、私の気持ちはドッと重くなった・・・
138: 賢治:04/05/29 18:35
ID:DUeHGY85
「私も一緒じゃなきゃあ、この子達は渡さない」
という道代の論理が、どれだけ手前勝手なものかは言うまでもない。
私がもう、三人の子供に対しての思い入れが出来ているのを見越しての思惑なのだ。
道代はなかなか譲らずに攻防は二ヶ月続いた・・。
三人もの乳飲み子を道代が育てるなど、想像も出来ない事であるしまた、育ててしまった場合には成長過程で心配な事が多すぎる。男でも出来れば子育てなど、おざなりになるのが目に見えている。一人でも二人でもいいから渡して欲しいと訴えたが、それも却下された。遠からぬ将来道代が子育てを投げ出した時に、一人でも最初から同じ顔をした姉妹がいると、適応してくれやすいと思ったのだが・・
直ぐに根をあげると思えた道代に余裕があったのは、またしても
娘の機嫌とりに執着する道代の母親の存在であった。
140: 賢治:04/05/29 23:25
ID:XO2/bAYd
つきっきりで三つ子ばかりか通代の世話をもこなす通代の母親は娘の自立心も自覚も見事に奪った。
環境に依る影響がどの程度のものなのかは解らないが、特異な環境で育ったこの人の、娘に対する愛情は湾曲していた。自己犠牲ともとれる愛情は決して自己満足でも、無償でもなく常に自分の期待する反応を娘に求めるものであった・・が、つくしたからといって、母親に感謝の気持ちを持つどころかつけ上がるばかりの娘であるから、そういう意味では
無償の愛なのかもしれない。
我々の披露宴で、新婦側の友人代表の挨拶を通代が惚れていた男に
頼んだこの母親は、私に向かって
「通代はこの男が好きで好きでなぁ、でも女がおってんなぁこの男・・披露宴で惚れた男に祝辞をなんて、女冥利につきるわぁ」
と嬉しそうだった。
141: 賢治:04/05/30 01:14
ID:tkhvtesb
通代にとって素晴らしい披露宴に、と思う母心は真っ当だがその後の私との結婚生活を幸せにと思えば、しない選択である。あまりに突拍子ない事で、私は憤慨どころかあきれるばかりであった。どの程度の事まで気にしないべきなのか、どこから憤慨すべきなのかこの母娘といるとまるで狂ってしまうのだ。
その母親が今度は通代の復縁願望の後押しを始めるまでそう時間は掛からなかった。
「通代があんたと暮らしたい言うてるんやからエエやないの」
と脅すように迫るかと思えば・・
「家も仕事場も建てたる!それでどうや」
と、この人らしい飴戦術も持ち出す始末・・・
娘に対して手柄をたてたくて仕様がないその姿はあわれにさえ思た。
142: 賢治:04/05/30 07:18
ID:tlTexTGk
「愛代がな、道端でお地蔵さん見つけたらなパァ~っと走って行って手を合わすねん」
と通代の母親が私に言う。
「ほんでな、何お願いしたの聞いたら何て言った思う・・?『お父ちゃんとお母ちゃんが早く一緒に暮らせますように』言うんやで」



